【教育向け保存用】生き物を飼う責任



これから研究室へ分属する学生・研究室へ分属を考える学生用に執筆します。

長く、重い内容です。

当研究室では、魚を「飼育」することが全員のノルマとなっています。

この「飼育」に関してきちんと理解した上で、研究室の分属を決めて下さい。

飼育=命に対して責任を持つこと です。


私は野生の動物に餌をあげたりする人間や、捨て猫に餌をあげたりする人間が大嫌いです。

なぜなら、それらは無責任な行為だからです。

実験動物といえど、命があります。生きています。

ならば、生きている間は、できるだけ快適に過ごしてもらう必要があります。
なので、毎日の世話は当たり前。
餌をやるだけでなく、水槽の汚れや密度なども考えなくてはなりません。

世間一般では、土日休みは当たり前。

でも、魚のことを考えたら、それは適用できません。
他の研究室では、都合の良い時だけ行けば良いところもあります。
でも、私の研究室は違います。
魚を飼っているので、基本的に毎日、飼育施設には行きます。
(2020年途中から監視カメラを導入し、日曜日は基本的に休みにしました。人不足と私の体力の限界を感じたからです)。
そして、実験を行う時、不必要になった時、魚に快適な環境を提供するのが困難になった時などは、自分たちの責任で処分をしなくてはなりません。

処分=魚の命を摘むこと です。


幸い、私が飼育しているのは、食べても美味しい魚たちですので、多くの場合は処分後、食料になっています。

でも、実験の分析にだけ使われる魚も当然います。
いろんな状況でただ処分をしなくてはならないこともあります。
施設の広さ、私の資金、飼育能力には限界がありますから。

生き物を扱っている以上、その命に対する責任から逃げることはできません。


時には数百匹の魚を安楽死をさせなくてはならないこともあります。

イメージしてください。自分の手で魚を殺すことを。
何年、魚を飼育しても、それはとても嫌な仕事です。(食用にする時は違います。)

★ここからは、卒論生だけでなく、企業の方にも理解して欲しいことを書きます。★

卒論研究でも、企業の研究でも、実験に魚を使う期間は数ヶ月かもしれません。

でも、魚を購入してから実験をするまでの間、実験が終了した後にも魚の飼育はあるのです。
きつい言い方をすれば、学生実験の時や企業の方は都合の良い様に魚を使っているだけです。
事前の飼育や、事後の魚の処分といった仕事は、私や研究室に丸投げしているのです。
その負担というものを考えれば、それなりの金額を支払う必要があるのはわかって欲しいものです。
卒論生も、今いる魚は昨年の先輩達が飼育をしてくれた魚です。
自分の試験が終わったからと言って、飼育は終わりません。
この研究室に所属する限り、飼育は続きます。
処分を含めて、「飼育」です。そのことを理解ください。
再度、言いますと、魚の飼育は全員のノルマです。

(さらに追記)私は厳しいと良く言われます。

でも、実は実験室できつくものを言うことはあまりありません。
実験に失敗はつきものですし。

ただ、飼育に関してはかなり厳しいです。

というのは、一つのミスが、多くの命を失うことに繋がるからです。
飼育に関わるエアブロアや揚水ポンプの管理も実質、私が行っています。
2研究室で施設を利用していますが、多くの責任は私にのしかかっています。
私が故障に気づかなかったら、2研究室分の魚を殺すことになるのです。

たとえ、教員でもこれらの多くのストレスと対峙していると、やはり能力・メンタル的に限界ギリギリになります。

1日たりとも気を抜けないのです。
(今は病理研に博士の学生等がおり、彼らの存在がかなり私のメンタルの負担を減らしてくれています。)

私の研究室に分属すると、学生でも、

「魚の命に対して責任を負う」ということを理解してください。

餌をやって、それで終わりという考えは、
大きな間違いで、責任から逃げています。
逃げることは許されません。

その責任をきちんと受け止められない人は、
当研究室を選ばないでください。
お互いだけでなく、魚も不幸になります。

コメント

  1.  先生の記事に共感します。研究には責任が伴うことを学生にわかってもらうことは必要ですよね。私の分野ですと研究費を様々な財団から頂くことが多く、その財源としては病気の患者さんのご家族の寄付だったりします。大学からのお金だけで学生の実験は賄えないので、その財団からのお金を使って研究を行う訳ですから、きちんと実験した結果を成果として論文発表し、少しでも病気の治療に役立てることが必須になります。ただ、そのことを説明すると厳しい印象を受けるのか、なかなか学生の受けは良くありませんが。私の話になってしいました。
     私は大学の研究室は目的地に向かう一つの船だと思います。特に目的地もなく波のない湾を航海する船もあれば、新大陸を目指して様々な困難を乗り越えながら航海する船もあります。学生は、どの船に乗れば自分の将来の夢や希望にたどり着ける力を身につけれるかしっかり考えてほしいものです。学生の選択が今後の大学の研究室のあり方を良い方にも悪い方にも変えてしまうので。長くなってしましましたが、先生の研究室の船に先生と同じ目的地を目指す学生が乗船してくれますようお祈りしております。

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    1. コメントありがとうございます。
      私の状況も先生と似ています。

      こんな感じで厳しいことを言うものですから、学生受けは正直悪いです。
      最近は、学生の能力低下が深刻で、その厳しさが本当は優しさであることに気づく学生が減りました。この大学で今のような教育を続けるのは限界かなと感じた1年でした。

      私も複数の企業から研究費を頂いています。それ故に、成果を求められることが多く、昔の様にあまり寛容ではいられなくなっているのも事実です。一方で就職の斡旋もできるのですが、それでも人気はありません。ただ、施設、資金、機器は比較的恵まれた状態にあります。進学を悩む学生にもアルバイト代で生活などサポートしたり、学会参加費用等についても、学生の負担なしに参加させています。ということもあり、まれにいる研究を本当に好きな学生にとっては快適な環境だそうです。その言葉に救われながら、どうにか研究を続けています。

      私はもともと異なる研究分野からこの分野に転向しました。せっかく採用していただいたのだから、この研究室や高知大学を発展させようと考えてです。入学してくる学生は、きっと魚や養殖に興味があると信じて突き進んできましたが、なかなかこちらの想いは伝わらないものだと感じています。私のやり方が間違っているのかもと思いつつも、やはり生命の尊重だけは譲れないと思い、執筆しました。

      先生からのコメントでとても元気づけられました。
      先生の船にも、先生と想いを同じくする学生が一人でも多く乗船することを私も祈っております。
      私よりも年輩の方かもしれませんが、失礼とは思いつつ「お互いがんばりましょう!」と記させて頂きます。

      水族栄養研 深田陽久

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  2. 私は昨年水産系の大学を卒業した者です。先生の仰ることはとても興味深く、真実を捉えていると感じました。
    昨今は働き方改革が進んでおり、休みが多い=良い職場という価値観が根付いてきていると感じます。学生にとっても同様に休みが多い=良い研究室と捉える学生が少なからず増えてきていると思います。ですので、先生のようなことを仰る研究室はブラック研究室と陰口を叩かれるのが現状です。
    私自身辛いことが正義であるとは露も思いません。ただ、私達が生物と向き合い研究を進めるには、このように覚悟を決め、地道に命を観察し続けるしか方法がないように思えます。
    極端な言い方になってしまいますが、命には覚悟と時間とお金がかかるのです。学生であっても、せめて生物に携わる者は、このことを忘れず研究や飼育に励んで頂きたいです。
    心より応援しております。

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    1. コメントありがとうございます。
      私はそのブラック研究室という評価を恐れていたのかもしれません。
      そのため、今年の4年生はほとんど土日に魚の飼育をさせませんでした。
      代わりに私や大学院生が飼育を行っていました。
      それでもやはり私の研究室は不人気です。
      飼育よりも私の性格や研究内容に問題があるのだと思います。

      結果として、4年生の土日飼育担当を大幅に免除したことは間違いだったと反省しています。
      生き物と向き合う限り、やはり土日もないことを覚悟してもらわければと思いました。
      (実際はローテーションを組むので休むことは今年度までは可能でした。)
      学生を第一にとは思いますが、私は休みが多い=良い研究室と考える学生や、言われたことさえやれば良いという学生を第一にはできません。
      「研究をする学生」を第一にと決意し、少ない人数でも運営できる体制を築くことにしました。

      つらいことが必ずしも良いこととは思いません。
      でも、自分の引き上げるためにはある程度の負荷は必要だと思います。

      深田陽久

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