ちょっと責任を感じていること

今年の初投稿はちょっと重い話です。

最近、養殖魚の報道で「魚臭さが無い」とか「におわない魚」とかをよく見かけるようになりました。
そのような報道を見るたびに、少し責任を感じております。
このような表現を見かけるようになったのは、「フルーツ魚」というものが普及し始めた頃からだと思います。

当初、私も同じ表現を使おうとしたところ、「その表現を使ってしまうと、他の養殖魚=臭いということになってしまいますよ。」とある方に教えて頂きました。

そこで、私は一般の方へのわかりやすさとの兼ね合いで、「嫌な魚の臭いがしない」との表現を使っています。ここでいう嫌な魚の臭いは、養殖魚であればしめる時の処理や保管状態が悪かったときに発生する臭いを意味しています。通常の魚のにおいではありません。追記:昔の養殖魚は悪い意味で魚臭かったとのこと。

どんな魚でも、養殖魚であれば餌に良い物を使うとともに、出荷前にきちんと餌抜きをして、魚をきちんとしめて、きちんと保管して、良い状態で消費者にとどければ、嫌な臭いなどしません。(それが意外と難しいので、フルーツ魚の需要がでるのも事実です。)

実際、きちんとした生産者のブリは、とてもブリらしさがあって、本来の魚の美味しさを感じることができます。開発者がこんな事をいうのもなんですが、フルーツ魚が養殖魚の主流になることは無いと思っています。

自分の製品の優位性は、誰しも謳いたいことだと思います。
でも、よく考えてみると、不当に他の魚をけなすような表現は、業界全体に悪影響を与えかねません。その言葉を現場を知らない方が使うのならまだしも、生産に関わる人間も発しているような報道をみると不安になります。

今はきちんと育てた魚なら、普通の養殖魚でもフルーツ魚でも美味しいです。

このような表現の責任の一端は私にもあるので、ずーっと思っていたことを記してみました。今後はよりいっそう表現には気をつけたいと思います。(深田)

さっそく本件についてご指摘を頂きましたので追記です。

私が言及した魚臭さとは、現在、販売をしている魚間(フルーツ魚vs通常の養殖魚)での比較の際に使われた言葉です。正直、その比較はあまりして欲しくないという気持です。

が、過去と現在の養殖魚を比較した発言であれば、今の養殖魚は、やはり悪い魚臭さは無くなったと言えるそうです。

30年ほど昔は、生のイワシなどを餌にしていたため、その臭いがきつかったとの話は聞くところです。ご指摘頂いた当人も、当時はブリが嫌だったとのこと(今は大好きだと思われます)。そう考えると養殖の技術って進歩したのだなと思います。

「臭くない」という言葉を使うのは、30年ほどの前の悪いイメージを持つ方に説明するのであれば、仕方がないのかもしれません。

実際、ご年配の方には相変わらず、養殖ブリに対して悪いイメージを持ったままの方もいます。そのような方にあえて養殖ブリを手にしてもらうフレーズなのかもしれません。
私も親類に自分のブリを渡した後日、「くそうない、くそうない」との感想を頂いたことを思い出しました。

養殖魚が臭いというイメージを払拭するためには、食べて改善していることを実感してもらうしかありません。これからも草の根運動をがんばりたいと思います。

でも、フルーツ魚と通常の養殖魚を比較して「臭くない」という表現を使うのはやっぱり好きになれません。


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