考えること・教えあうこと

今日は、研究室の話題というよりは、深田個人の悩みを記してみます。

ここ数年で一番変わった、もしくは気になることは、
考えてより良くしよう!とか、お互いにアドバイスしたり、教えあう姿をあまり見なくなってきていることです。
極端なことを言うと、現状を良い方向に変えるという姿勢が見られないということです。
たまたま私の研究室だけのことかもしれません。

ただでさえ、業務量の多い研究室ですので、なるべく効率化をしないとブラック研究室と言われかねません。
そのため、私(深田)は作業の効率化やそれを助ける新規機器の導入を常に考えています。
人間が集中して作業できる時間には限界がありますので、怪我やミスを避けるためにも効率化は不可欠です。
私は今でも、前日・当日にイメージトレーニングをして実験や作業に臨んでいます。

もう何度も一緒に作業(練習)をしたし、イメージトレーニングの重要性も伝えたし、大丈夫だろうと思って、試しに作業を任せてみると、延々と時間がかかってしまう姿を見ます。
当然、最後の方は集中力が欠けていますし、魚の死亡にも繋がってしまいます。

指導においても、教員(深田)が常に指導をしなければならないような状態になりつつあります。

そのため、私個人の負担もとても大きくなってきています。
以前ならば、一人に指導すれば、それが自然に伝わっていました。
私は時に確認をし、間違いがあれば補正をすれば良いだけでした。
そこで最近は指導をするために(負担を減らすために)、いろいろな事についてマニュアルを作ってみました。
すると、マニュアルに従い過ぎて、学生自身があまり考えなくなってしまいました。
(生き物相手に完璧なマニュアルなど存在しないと思うので、考える事は必要です。)
これも教育機関としては由々しき問題です。

何が原因なのかをいつも考えているのですが、明確な答えはでてきません。
トラブルや価値観の差に直面することを避けるあまり、見て見ぬ振りをしている?
責任を押しつけられるのが嫌?
教員間にも見られることなので、学生のことばかりは言えないなとも思っています。また、何か間違いあれば、集中攻撃を受けてしまう時代なので、何もしないことが選ばれるのかもしれません。)
学生の余暇の過ごし方も以前と比べると、ゲームやアニメなど個人で完結できるものが増えており、人と接する時間が減っているせいもあるかもしれません。

いつも同じ空間にいて、お互い助け合う必要もあるのに、考えて教えあうという行為がないのは不思議に思います。仲が悪いのであれば、仕方ないですが、そうではなさそうです。チームとして同じ作業をしているのに、個々が個々としてだけ存在して、まとまりがありません。自分の担当しか見ておらず、全体への意識が欠如しています。自分はやるようにいわれた作業をすれさえば良いという状態です。

考えること・教えあうことは、自分の研究活動や評価にも影響することです。
これらを常々説明していますが、なかなか言葉が届いていないように思います。

何かをきちんとできるようになるには、当人の努力と教員の指導が必要と思います。
指導も核心をつくと、ハラスメントと捉えられてしまうおそれもあり、いつも内心ビクビクしています。

なにごとも練習は必要なので、失敗はかまわないことも伝えています。

ですが、きちんと準備をしない(考えない)上での失敗は良くありません。
今年度からは、自分が忙しくなってきていることもあり、至れり尽くせり体制から、自分で考えるという方針に変更中です。

私自身、人付き合いはトラブルの原因にもなるので、嫌いです。
ただ、研究のアイデアは他者との会話の中で生まれることが多いですし、
自分の悪い点・良い点の発見というのは誰かから指摘をうけて、気づく事も多いです。

学生達には面倒なことを避けるために(効率良くするために)、面倒だけともう少し踏み込んだ人付き合いをして欲しいなと思っています。

これもおっさんがうるさいことをいっていると思われてしまうのかもしれませんね。
本当に難しいです。
でも、指導は試行錯誤をしながら、あきらめずにがんばりたいと思います。

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